終末通信63回
 三途の川渡る一歩まえに
 考えたいことがある、
人生の最終末の前に問題がある。かって誰も論じたことのない分野考えます。

ガンも人工透析最期も完璧健康でも最期に行き着くところ、なんの特徴もない老人、誰の手も患わせない生きてるか死んでるか、特別取り上げることもない、福祉の対象にならない人々、虚ろな目でボウと時の経つのを待っているだけの人間。
困ったこともないから声を上げる事もない、問題ないから行政も福祉も関心ない、文句云わないから放っておかれる。
自意識とか自己主張権利何もない、ひたすら迫り来る死をぼんやりと待っているだけ、怖れもない、喜びもない、箸にも棒にもかからない動物昆虫と違うところ何もない、
人による差は大きいが必ず通過しなければならない道なのである。
家族・周囲から大事にされる人、迷惑がられている人、何時死んだか分からない気がついたら腐乱死体になっていたという最期もある。
いろんな人がいるが全体として一つの階層をなしている。
野生の動物の大群は一頭一頭の区別はないが集団を形成している、人間も同じだ、後戻りできない人の群れ、層として見るのである。層として群れとして見るとどんな共通の問題があるのか。後に残った者は何もしてやれないのか。

かまいたちの冷たい見えない刃が首筋に当たっている者は、立場も経歴も財産も千差万別だが、共通した何かがあるのではないだろうか。人の数だけ生き方も経て来た道も違うが、何か共通のものがあるのではないか。富める者も貧しい者も死ぬときぐらい人類皆兄弟といかないものだろうか。

 
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