終末通信連載61回
 死ぬときは苦しまないで平穏に死にたい。
老人の最後の願いだ。
 18年うちの家族と生活を共にしてきたネコが死んだ。8月半ば横になったまま動かなくなった。家族が心配して動物病院につれて行ったが何日かして、これ以上手当をする事はないと云われ連れて帰った。それ以来一口も食べず水一滴も飲まない。私の部屋の隅で、ドサと横に倒れたまま動かない、病院から帰って4日目の夜階段を上がって二階の家族の部屋の入り口まで行ったらしい。飲まず食わずのガリガリに痩せた体にそんな力があったのか、最期の挨拶だったのかと思った。
翌日朝からまったく動かないで、僅かに胴体が動いていたがやがて動かなくなった、家族が目を閉じさせた。死に水をとったのである。まったく平穏で静かな死であった。
これでいいのだと思う。

年を取って体力が落ちれば自然に知能も気力も下がってまどろみ眠りながらそのまま静かに逝くのである
人間は医者が一分一秒でも長生きさせるとか云って薬マッサージ,人工呼吸カンフル点滴
など回復の見込みのない年寄りや病人に意味のない「治療」をやって患者を静かに眠らせない。意識もなくなった者に一分一秒がなんの意味があるか。
家族がもういいでしょう、と延命を断ると、「手当をすれば生きられる余地があるのに手当を止めるのは殺人、警察が来る」などと脅迫して意味のない拷問を続ける、死に水も取らせない、死の苦しみはすべて平穏な死を妨害する金儲け主義の医者のためである
心静かに見送り、家族や愛する者に囲まれた幸せな死の先に幸せな極楽来世があるのである。スパゲッテイ針ネズミで逝った先が針の山地獄ではないか。

私は根っから丈夫なのでピンコロと逝けると思っているのだが、家族は少しは介護させてくれないと思い切りがつかないと云っている。
ネコは丁度夏休みで、一週間十分看取れたので悔いはない、
時期が来ると私を呼びに来ると思うので、それまでもう少しやれる事をやって行こうと思っている。

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